WANIMA- THANX

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カテゴリ: ロック

13年間過ごした沖永良部島のこと

大学卒業後、イギリスへの留学費用をためるために、友人の勧めで”沖永良部島”へ。

沖永良部島では、基幹産業であるさとうきびの運搬作業や、港湾建設作業員の仕事などをかけもちでさせてもらった。
そのまま夜は地元の居酒屋さんでアルバイト。

大学卒後前から、卒業後3ヶ月ほどは沖永良部島にいた。
卒業式は沖永良部島から真っ黒に日焼けした状況で参加した。

周囲の学生はみな就職活動を終え、社会人として進路が決まっている人ばかり。
そんな中で自分は、沖永良部島でお金を稼ぐ。

周囲の常識からもうすでにドロップアウトして、行きたかったイギリスロンドンを目指して毎日働いた。
友人の実家に居候させてもらって、金を稼ぐ。
おかげさまで半年で十分なほどの留学資金がたまった。

沖永良部島はどうだったかというと、まさに”パラダイス”。
青い海、豊かな自然、やさしい人たち。

留学費用を貯めているというと、職場の方からの餞別や、友人の父からこれまで払った家賃もすべて餞別としてもらった。
優しすぎる人たちにいつか、何かちゃんと恩返ししたいと帰りの船でそう思った。

そう、自分は、イギリスに行くという夢を沖永良部島の人たちに支援してもらって叶えることができた。


奄美の人たち

話は少し戻るが、大学に入りまず最初に衝撃をうけたのが、初めて会う奄美の人たちの純粋さと優しさ。
最初に会った奄美の人は、喜界島出身の同級生。

優しい心と、どこか胸に秘めた情熱がキラキラと眩しく、彼らとの付き合いが深くなればなるほど、自分の心のトゲトゲしさや物事に対する価値観などが変わり、自分の心がやすらいだ。

奄美の友人がどんどん繋がっていき、終いには、集落名や卒業アルバムにのっている、会ったことのない人の名前まで覚えてしまうほど。

そして、初めて喜界島にフェリーでいった時の星空の綺麗さには感動した。
島に着くと、白い砂の道。どこまでもつづくさとうきび畑。
”奄美群島”は当時の自分にとってとても心に強く残り、後々の人生に大変多くの影響を与えてくれた。

沖永良部島へ

そして、無事ロンドン留学をへて、鹿児島に戻り、就職を考えている頃、沖永良部島の和泊町役場の採用試験の話を聞いた。

島には、町独自のケーブルテレビがあり、自分のこれまでの少しの経験を生かせる。
そして何より、奄美で生活をしてみたいと強く思っている自分がいた。

役所の採用試験をパスし、本格移住。
貴重な仕事をたくさん経験させてもらった。

釣りも、泳ぎも、お酒も、文化や歴史、島の抱える問題もすべて教えてもらった。

自分がイギリスに留学できたのは、沖永良部島のおかげだったので、ここが恩返しの時と思い
必死で仕事に取り組んだ。

たくさんミスもしたけれど、たくさん学んだ。
たくさん人と揉めたりもしたけれど、たくさんの優しい人に出会った。
プロジェクトを終えてみんなで飲む黒糖焼酎は美味しかった。

難病にかかり、仕事を辞め、鹿児島に帰る決断をした時。
そして、その後、退職し、島を離れる時まで。
職場の方や島の方にたくさんの優しさをもらった。

留学費用を貯めにきた沖永良部島を去る時に思った、何か少しでも恩返ししたい。
仕事のなかで必死に取り組めたのは、きっとその時の気持ちがずっとあったからだと思う。
恩返しができたかどうかはわからないけれど。

13年間のたくさんの思い出は、いいことばかり。

毎日がワクワクで、地域の皆さんや集落が活き活きとしているのを感じ、
あれもしたい、これもしたい、この島の人たちとならできる。
なんでも一緒にやってみたいという気持ちで溢れた。

島の人の想いで行動し、他者と心を通わせ、地域を盛り上げる。
そんな活動の中に身をおけたことが本当に幸せで、本当に貴重な経験をさせてもらったと思う。


公務員を辞める?和泊町役場をやめる?

病気の件で、仕事を辞めることになったとき、周囲に言われたことが、「公務員を辞めるなんてもったいない!」「公務員がいいのに・・・」「その歳で民間大変でしょ・・・」という言葉をもらって、確かに自分でもそう思うところもあった。

しかし、退職が決定して、職場や集落、バスケットボール連盟、お世話になった人たちに送別会を開いてもらっていると

多分自分は、公務員を辞めることがどうとかではなく、*まぁ多少は考える部分も正直あるが・・・。
和泊町役場を辞めること、和泊町を出ていくこと、沖永良部島を出ていくこと、
これまで縁のあった人たちとなかなか会えなくなるといったことが、自分にとって迷うところだったと
今になって思う。

和泊町だったから迷った。

それだけ、多くの人たちと出会い、良い経験をさせてもらっていたということ。
自分は公務員を辞めることに迷ったんじゃない、和泊町役場を辞める事に迷った。


これから

自分の中では、沖永良部島を出たから島の人たちと縁がきれるとは全く思っていない。
沖永良部島に13年間住み色々知っているということの強みという部分であれば、鹿児島市内でこの先数年は、自分が絶対にNO1である自信がある。
和泊町という後ろ盾はなくなったけれど、13年間で教えてもらった”島人魂”で病気と上手く付き合いながら、色々な事に挑戦し、行動していきたいと思う。

ふとした時に流れてくるのは、晴樹兄の歌と情弱安田から教えてもらった歌。
あの沖永良部島での時間は間違いなく自分の骨の髄まで染み込んでいる。

今後、大事な局面では、その髄液から血液から全て湧き出てくるエネルギーを呼び起こす。
さぁ、ちばゆんどぉ〜


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